「不可能といわれた自然薯の栽培を実現した政田敏雄の物語」

政田敏雄
■昭和42年 自然薯栽培への挑戦が始まった
自然薯は、たいへん栄養の高い山芋。病気見舞いのお土産に最高の食材と言われていた。
しかし、この自然薯を手に入れるのは大変なこと。分け入った山にしか育たない自生の植物。ちょうど、松茸のようになかなか見つけることはできない。しかも、クネクネと曲がって生える長芋。掘り出すのが、これまた大変な苦労だった。
その自然薯をなんとかして栽培することはできないだろうか?
もし、産地を作ることができれば、この栄養価の高い作物を、もっと手軽に食べられるようになるはずだ。
栽培は不可能と言われた自然薯栽培への挑戦が始まった。


■昭和48年 山を歩き、実験を繰り返す日々
まず、良い自然薯が採れるという九州の山々を歩き回った。その山には、自然薯が育つために必要な条件が揃っている。それを見つけ出すために、50ヶ所以上の山を歩いた。
そんな中、一つの発見をした。
山の土は、畑と違って、痩せていた。「そうだ、自然薯は、肥沃な土では育たないのかもしれない」。いくら種芋を畑で栽培しても、発芽に失敗する理由がそこにある。
しかし、畑の土質をそっくり、山と同じ環境にすることは、無理だ。気軽に栽培できる方法でなければ意味がない。
そこで、発明家の政田は、妙案を思いついた。自然薯の種芋を植える周りだけ、山の土で覆うために、芋の形に合ったパイプを作ってみた。それが、今や自然薯栽培には欠かせない用具「クレバーパイプ」の誕生だった。
畑に、パイプを持ち込み、その中には痩せた山の土を入れて、種芋を仕込み、育てる。順調に栽培が進むと思われた。
が、しかし、パイプから出てきた自然薯は、細く、イビツな形をして、とても商品にはならなかった。
「山で採れるものを畑に植えてもダメだよ」と人は笑う。
「こうなったら意地だ!」と、政田は諦めなかった。

■平成5年 山と同じ環境をつくる、もう一つの発明
調査した山が200を超えたころ、また、あることに気付いた。山は木々に覆われ、夏でも地表は涼しく、土は湿気を含んでいる。自然薯の生育には、このような温度と湿度の環境が必要だった。
畑で山と同じ環境がつくれないだろうか?
政田が着目したのは、雑草をよけるために使うマルチという黒いビニールシート。普通は畑をこのシートで覆うことによって、光を遮り、雑草を生えさせない。しかも、適度な湿度を保ち、地熱が冷めるのを防いでいた。
「そうだ、シートの表面を白にすれば、地熱を下げることができる。湿度も保つことができる」。
こうして、表は白で裏が黒の2色の「白黒マルチ」が誕生した。

政田自然農園の自然薯
■ついに、自然薯の産地が実現
「クレバーパイプ」と「白黒マルチ」、二つの発明と、試行錯誤の連続はついに身を結んだ。
やがて、思い描いていた通りの自然薯が畑で収穫できるようになった。しかも、真っ直ぐに伸びて、太い。そんな立派な自然薯が、クレバーパイプを抜き出すだけで簡単に収穫できるようになった。

指導する政田
政田は全国を歩き、この栽培方法の普及に努めた。
そして、今や、自然薯は畑で作られる作物となり、通信販売で簡単に買うことができるようになった。
また、栄養価の高い自然薯は、贈答品としても大変喜ばれている。
| 平成17年、政田は他界した。政田が見た夢は現実となり、その意志を今、二人の男達が継いでいる。その政田自然農園では今も、自然薯の栽培方法の普及を行い、より高品質な自然薯を、より簡単につくる方法の研究を続けている。 | |
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